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大阪地方裁判所 昭和46年(ワ)5940号 判決

原告

林勝幸

右訴訟代理人

花房節男

小西正人

花房秀吉

被告

喜馬通

右訴訟代理人

竹澤喜代治

主文

一  被告は、原告に対し、金五〇万円及びこれに対する昭和四六年一二月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。

四  この判決は一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和四三年九月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件事故

(一) 原告は、昭和四二年九月二六日午前五時一〇分頃、軽自動車を運転して東大阪市若江本町三丁目三番地先交差点にさしかかり、これを右折していたところ、同所において訴外李煕東運転の普通貨物自動車に衝突され、左大腿骨開放性複雑骨折等の傷害を受け、同日、喜馬病院(以下被告病院という。)に入院した。被告病院は当時被告が個人で経営していたもので、院長たる被告及びその雇傭した医師らにより診療業務がなされていた。

(二) 被告病院の医師は、原告に対し、入院後直ちに、受傷した左大腿部を二針縫合し副木で固定する処置をした後、同年一〇月一一日、左大腿骨接合の手術をしたが、原告の骨組織には、受傷当時、直接的な病原性細菌による汚染があつたため、手術後左大腿骨の骨髄炎(以下本件骨髄炎という。)が生じ、接骨が不能となつた。

(三) そのため、原告は、昭和四三年八月二九日、被告病院から大阪大学医学部付属病院(以下阪大病院という。)に転院したが、本件骨髄炎のため、同年九月一八日、同病院で左大腿部を切断するに至つた。

2  被告の責任

原告が前記のように骨髄炎により左大腿部を切断するに至るには、以下のとおり被告及びその被用者たる被告病院の医師、看護婦らの業務上の過失が存し、また診療契約の不完全履行が存するのであるから、被告は、これにより原告に生じた損害を賠償すべき義務がある。

(一) 不法行為責任

(1) 被告ら(被告及びその被用者たる医師らをいう。以下同じ。)は、外科専門の開業医であつて、患者に対しその専門知識を駆使して少なくとも今日の医学水準からいつて適切、妥当、必要な処置をしなければならない義務があり、原告の場合には、その受傷の部位程度からみて骨組織に直接的な病原菌による汚染のあることが明らかであつたので、これに対する必要な処置をしなければ骨髄炎の発生することが予見できたのであるから、被告らとしては、原告の受傷部位程度につき十分な診察をし、細菌の感染による骨髄炎の発生等を予防する治療行為、すなわち、損傷創縁の切除、汚染され突出した骨折端の切除、洗浄、消毒等の処置(外科学用語のデブリートメント)をするべき義務があつた。しかるに、被告らは、これらの処置をせず、受傷一時間後、前記のように原告の左大腿部を二針縫合し副木で固定したのみであるから、この点において、被告らに過失があつたことは明らかである。

(2) 加えて、被告らとしては、原告の傷害の程度が重く、骨髄炎発生のおそれがあつたのであるから、右の処置の後も絶えず注意し、その発生を予防するため必要な処置をしなければならない義務があるのにこれを怠り、必要な予防処置をしなかつたので、この点においても過失がある。

(3) さらに、被告は、医師として原告又はその家族に対し原告の左大腿骨に骨髄炎が発生していることを告知し説明するべき義務があるのにこれを怠り、ために原告に早期転医の機会を失わしめた過失がある。原告としては、もしも被告からその事実の告知説明を受けたならば、もつと早い機会に自らの意思で、持続洗浄その他診療上必要な人的・物的設備のより整つた阪大病院へ転医し、必要な処置を受け得たはずであり、そうすれば骨髄炎を快癒させることができ、左足を切断しないですんだのではないかと思われ、残念でならない。

(二) 債務不履行責任

被告及びその履行補助者たる医師らには、前記のとおり、医師として原告の治療をするに際し、骨髄炎の発生を防止するべき適切な処置をすることを怠り、あるいは骨髄炎について患者である原告に十分な説明をすることを怠つた点において、診療契約上の債務の不完全履行があつたというべきである。

3  損害 合計金一一〇八万四四八〇円

原告は、被告の不法行為又は債務不履行により、次のとおりの損害を蒙つた。

(一) 治療費 金五〇万円

〈省略〉

(二) 義足代 金七六万円

〈省略〉

(三) 逸失利益 金六三二万四四八〇円

〈省略〉

(四) 慰藉料 金三五〇万円

原告は、前記のとおり被告の責任で骨髄炎のため左大腿部切断のやむなきに至り、この間に蒙つた精神的苦痛及び片足を失つたこと自体による不安や苦痛は甚大なものであるのに、被告はこれを慰藉する何らの措置もとらないので、原告の被害感情は高まる一方である。このような原告の精神的苦痛を慰藉するには金三五〇万円が相当である。

4  よつて、原告は被告に対し、不法行為又は債務不履行による損害賠償請求権に基づき、前記3の損害のうち金五〇〇万円及びこれに対する昭和四三年九月一九日(原告が左大腿部を切断した日の翌日)から支払済みまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)の事実は認める。同(二)の事実中被告らが原告に対し原告主張のような処置、手術をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。同(三)の事実中原告がその主張のように阪大病院に転院し左大腿部を切断したことは認めるが、その余の事実は否認する。

2  同2(一)及び(二)の事実は否認する。

3  同3(一)の事実中原告がその主張のように被告病院に入院し被告に治療費金八〇万八五七〇円を支払つたことは認めるが、その余の事実は不知。同(二)の事実中原告が入院当時三四歳であつたことは認めるが、その余の事実は不知。

三  被告の主張

1  被告らの無過失

被告らが原告に対してなした治療行為は次のとおりであつて、被告らに何ら過失はない。

(一) 被告らは、昭和四二年九月二六日、原告を初めて診察し、原告の傷害は交通事故による外傷性の左大腿骨開放性複雑骨折が主要なものであると判断した。当時原告の受傷部位には土や砂が付着しており、損傷創縁や汚染され突出した骨折端があつたので、直ちにその治療にあたり、リバノール、ヨードチンキ、ハイポ、オキシドール等を使用して創傷の内外部を消毒して清拭し、細菌の侵入防止措置をするとともに、油脂や土砂の付着汚物、壊死組織の除去をしたうえ、化膿止めにパラキシンの注射をし、さらに、クロロマイセチン等を注射して細菌の繁殖、発育阻止の措置をし、局所の安静のために副木をあてて包帯をした。また、外傷性ショックに対する措置として栄養剤の注射、点滴をした。

(二) 被告は、原告の傷害の程度から骨接合手術が必要と判断したのであるが、手術にあたつては全身麻酔の必要があるため、原告がこれに耐え得るか否かについて被告病院の大川医師に命じて胸部レントゲン撮影、尿、血液検査、心電図、血圧測定等の精密検査をさせ、その異常のないことを確認した。そのために約二週間を要したのであるが、その間も毎日局所のガーゼの取り替え、消炎酵素剤の施用、抗生物質剤の注射をして細菌の発生防止の措置を講じ、また栄養剤の注射、点滴を繰り返した。

(三) 被告らは、右のとおり手術前の検査等をしたうえ、昭和四二年一〇月一一日、被告病院の中谷医師及び中川医師の両名執刀のもとに原告の左大腿骨接合の手術を行つた。その手術においては、創部を開き、螺子を使用して数個の骨片を接合し、骨折部分を接合したが、その際にも前述のように細菌の発生防止の措置を施し、手術中の出血については止血措置を講じ、手術後、局所の安定のために副木をして包帯をした。また手術後は毎日局所のガーゼの交換、全身状態保持のための輸液、消炎酵素剤、抗生物質による洗浄等細菌発生防止の措置を講じ、原告の回復を待つた。

(四) 右の結果、原告は、手術後発熱等の悪症状もなく順調に回復していたのであるが、昭和四三年八月に至り、原告が阪大病院への転院を申し出たため、被告は、やむなくこれを許可をした。

(五) 以上のとおり、被告らは、その専門的知識を駆使して、原告に対し、適切妥当にして必要な最善の治療行為をしたのであつて、過失のないことはいうまでもない。原告が左大腿部を切断するに至つたのは、不可抗力によるものであり、また被告が右診療上の説明義務を怠つた事実もない。よつて、被告が不法行為責任あるいは債務不履行責任を問われる理由はない。

2  損害の填補

原告は、本件交通事故の加害者である訴外李煕東との間の損害賠償請求訴訟(一審大阪地裁昭和四三年(ワ)第三〇五八号。二審大阪高裁昭和四六年(ヒ)第一二号。以下「別訴」という。)について、昭和四七年八月七日、大阪高等裁判所において和解をし、本件交通事故と相当因果関係のある左大腿部切断による損害を含むすべての損害賠償請求について、紛争は解決済みである。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1(一)ないし(五)の各事実は否認する。原告は、骨接合手術後抜釘手術までの一〇月の間ギブスをはめたままにされていたので、創傷部位の洗浄消毒を受けたことがなく、排膿術も完全に行われなかつたため、骨髄炎が治癒せず、左大腿部の切断を余儀なくされたものである。

2  同2の事実中原告が別訴で訴外李と和解したことは認め、その余は否認する。しかし、原告は、左大腿部切断については被告に責任があり、これと本件交通事故との間には相当因果関係がないとの相手方の主張を考慮し、この点に関して原告が被告に対し医療過誤に基づく損害賠償責任を追及することを前提として、右の和解をしたものである。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一請求原因1(一)の事実、同(二)の事実中被告病院の医師が原告に対しその主張のような処置、手術をしたこと及び同(三)の事実中原告がその主張の日阪大病院に転院し左大腿部を切断したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二右当事者間に争いのない事実並びに〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められ〈る。〉

原告(昭和八年八月生。当時三四歳)は、昭和四二年九月二六日午前五時一〇分頃、軽自動車を運転して東大阪市若江本町三丁目三番地先交差点にさしかかり、これを右折していたところ、同所において訴外李煕東運転の普通貨物自動車に衝突され、これによつて、①左大腿骨開放性複雑骨折、②頭部打撲血腫兼顔面多発性切創、③右大腿打撲傷、③左小指切創の各傷害を受け、意識を喪失し、直ちに被告病院(外科)に搬送され、同日午前五時二〇分頃同病院に到着した。原告は、同病院で、受傷後一時間以内に当直医によつて左大腿部の二針縫合副木固定等の処置を受け、受傷後一六日目の同年一〇月一一日、左大腿骨接合の手術を受ける等し、その後引き続き昭和四三年八月二九日まで被告病院に入院し、治療を受けた。しかし、左大腿骨開放性複雑骨折については治癒しないため(なお同年四月一一日の被告の診断結果では「全治二ケ年間の予定なるも、経過良好なれば爾後約二五〇日間入院加療を要する」ものとされていた。)、原告は、希望によつて右八月一九日阪大病院に転院し、同病院において左大腿骨外傷性骨髄炎と診断されて入院治療を受け、同年九月四日病巣掻爬鋼線抜去の手術を受け、持続洗浄等の治療を受けたが、骨髄炎の治療には相当長期間を要し、しかも必ずしも治癒するとの見通しもないこと等から、主治医と相談のうえ、同月一八日左大腿切断の手術を受け、大転子の先端から約二三センチメートルを残して左足を失うに至り、同年一二月二五日同病院を退院したが、その後は左下肢に義足を装着して生活している。

三1  そこで、以下、原告の左大腿部切断の原因となつた本件骨髄炎が被告の医療上の過誤により発生したものであるか否かにつき検討する。

〈証拠〉によれば、医師松田英雄は、別訴における鑑定人として、被告病院で作成された原告の診療録(以下「本件カルテ」という。)、レントゲン写真、診断書等の資料に基づき、本件骨髄炎が本件交通事故に起因するものかそれとも本件交通事故による傷害治療中の医師の診療上の過失に起因する二次的なものか等につき鑑定したこと、松田医師は、その鑑定意見の中で、本件骨髄炎は直接本件交通事故に起因するものであるとしながらも、本件カルテには開放性骨折に対し医師のとるべき初診時における損傷創縁の切除、汚染され突出した骨折端の切除、洗浄、消毒等の処置(デブリートメント)をした旨の記載がないことから被告においてこれをしなかつたと解釈して、原告の場合、初診時の措置がもう少し適切に行われていた場合には骨髄炎の発生を未然に防止しえたかもしれない可能性があつたと判断されると結論づけていることが明らかであり(甲第一号証のうちの鑑定書部分、このことは、請求原因2(一)(1)の事実(被告が初診時にデブリートメントをしなかつた過失)を推認させる一資料といい得る。

しかし乍ら、〈証拠〉によれば、デブリートメントは、開放性骨折の場合の外科的治療の原則であり、医師の行うべき当然の処置であつて、医師がこれを全く怠るということは到底考えられないことであること、患部の消毒といつたような医学上常識とされる処置については、はじめからこれをカルテに記載しない医師もあり、また、医師が繁忙にまぎれて記載を漏らす例もよくあること、開放性複雑骨折の場合、患者の全身状態が悪ければ、医師は直ちに骨接合術をするか切断術をするかの判断を留保し、保存的治療の可能性を残しつつ創口を縫合し、全身状態の回復を待つ場合があること、原告の場合、受傷の状況は、左膝外側部に二センチメートルの挫創があり、左大腿骨の下約三分の一が十数個の骨片に砕け(粉砕骨折)、一部骨折端が突出し汚染されていて左大腿下部から膝にかけて腫脹していた重傷であつたが、頭部打僕血腫等の重傷をも負つて意識喪失状態に陥つていたという悪い全身状態であつたため被告病院の当直医は、直ちに左大腿骨の接合術をするか切断するかの判断を留保して一応創口を二針縫合し、局所安定のために副木固定の処置をし、あわせて頭部打僕血腫や顔面多発性切創等に対する処置をしたことを認めることができる。

右の事情からすれば、外科専門の被告病院の当直医が右の初診時の処置をするに際し、左大腿の受傷部位につき、その程度の点はさておき、デブリートメントを全然しなかつたとは考え難く、加えて、別訴における鑑定人松田医師自身が、本件訴訟の証人として、別訴の鑑定結果は本件カルテの記載の不備の故に医師にとつて不利になつている感じもする旨供述しており、以上の事情を総合考慮すれば、別訴の鑑定結果のうち前叙の鑑定意見の部分のみをもつて被告が原告の初診時にデブリートメントを全く怠つたと認めるには十分でなく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

2  さて、〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

原告の左下腿の開放性複雑骨折は前記のとおりの重傷であり、このような場合、骨組織は受傷当初から汚染されているため、デブリートメントをいかに医学的に適切に行つたとしても完全に消毒滅菌することは不可能であつて、デブリートメント後の骨髄炎の発生が不可抗力によるものといわざるを得ない場合がある。とくに原告の場合、デブリートメントをより完全にしようとの考えから汚染され突出した骨片、挫滅した組織等のすべてを切除するとすれば、前記の粉砕骨折の存在等からその範囲が大きくなり、後日仮に骨の接合ができたとしても左足が一五センチメートルないし二〇センチメートル短縮することになり、むしろ切断術をした方が相当であると考えられた。そこで、初診時、当直の医師は、前記の全身状態を考慮し、かつ後日の骨接合術の成功の可能性を期待してできるだけ多くの骨片を残しておこうとの判断のもとに前記の処置をした。初診後一六日目の昭和四二年一〇月一一日までの間、細菌感染等による化膿特に骨髄炎の発生を防止する等の目的で抗生物質が投与され、諸検査等の処置がされたが、右はいずれも相当であつて医学的に問題はない。同日、被告病院の中谷俊介医師の執刀によつて左大腿骨接合術が施されたが、その手術は、鋼線、ランボット、特殊螺子等を用い、十数個の骨片を長じた技術で整復固定したものである。右接合術後、局所の創は閉ざされ、副木をあてて包帯で固定されたが、原告は術後二日目から発熱をきたし、六日目に悪臭のある浸出液を排出するようになり、その間激しい創部痛を訴えていたが、以後漸次平熱に移行し、痛みも鎮まつた。しかし、原告の左下腿の創部からは、その後も腫汁の排出が続いて骨髄炎の発生が明らかとなり、創部の切開ドレナーヂが施行され、以後長期にわたり瘻孔からの膿汁排出を持続し、昭和四三年一月には有窓ギブス包帯をし、同年四月にはギブスシャーレをして安静加療を続けた。その間、骨髄炎を抑制するため、キャソサイクリン、パラキシン、コサテトラシンその他の抗生物質が投与され、包帯の交換、患部の消毒等及び月一回程度のレントゲン撮影による経過観察等の相当の処置がなされた。

以上の事実を認めることができ、右認定の事実によれば、原告の場合、受傷時、左大腿骨骨折の他に骨周囲を含む組織挫滅及びその際の細菌感染があり、これが抗生物質の投与により静止状態にあつたところ、骨接合術による手術的侵襲により活動性となつて骨髄炎が発生したものと認められ、被告のとつた初診時のデブリートメントその他の措置は、医師の裁量の範囲に属し、特に誤つたものと評価することはできず、骨接合術の実施も相当であるから、これらと右の骨髄炎の発生との間に相当因果関係があるものとは認めがたい。

〈証拠判断略〉

3  なお、原告はさらに、被告がレントゲンによる観察を怠り、又は被告病院では前記阪大病院で施こされた持続洗浄が行われなかつたことが、本件骨髄炎をさらに悪化させた原因であるとして、この点に治療上の過誤もしくは債務不履行が存する旨の主張もするもののようである。

しかし、レントゲンの観察が行われたことは前認定のとおりである(〈証拠判断略〉)のみならず、鑑定人桜井修の鑑定結果並びに同人の証言によれば、鮮明なレントゲン写真をとるために、固定中のギブスを外すことが局所を悪化するおそれもあり、そこまでしてレントゲンをとらなければならないものではないというのであり、それが骨髄炎を深化させる原因になるとは認められない。又、持続洗浄の点についても同証人の証言によれば、昭和四二年の時点での我国の医療水準から見て、洗浄の効果が一般的にも高く評価されていたわけではなく、これをするかどうかは医師の選択許容範囲内の問題であり、洗浄しない医師も多く、洗浄しなかつたことが当時の医師の常識に悖るものではなく、これも医療過誤と評価することはできないし、洗浄していれば、本件大腿切断の結果が生じなかつたものとは、感情的にはともかく、医学的にこれを断ずることは到底なし得ないものと思われる。因みに右桜井証人はこれらの点につき、原告の場合「かなりひどい骨髄炎が起つていたことは事実と思われるが、当時それに対し、抗生物質を与えて包帯交換を繰り返えす以上にどんな処置があり得たのか、骨髄炎がひどいからといつて、切断してしまえば話は簡単であるが、医師としてはできれば足は残そうとするし、二、三年のうちに自然軽快する例もあるから、時間を待つてゆつくりなおす方針がとられ」たことに医療過誤を問い得ないと証言している。要するに、原告が開放性複雑骨折から本件骨髄炎を併発したのは、数多くない不幸な症例ではあつたが、不可抗力といわざるを得ず、且つ一旦骨髄炎を生ずると、本件のような結果に至ることは医療上これを阻止することは至難であり、かえつて骨髄炎に一生の病となり、本人の社会復帰のためにも思い切つて切断をすることが必要となるのであつて(甲第一号証、証人市川宣恭、同桜井修、同前田晃らの証言)、本件においても、本件骨髄炎の併発及びその結果の大腿切断につき、被告病院の過失ないし債務不履行はたやすく問い得ない。

四しかしながら、〈証拠〉によれば、原告は、左大腿骨接合の手術を受けるに際し、執刀医である中谷医師から、左大腿部については骨折は重傷であつて切断することもやむをえない場合があり得るができるだけ接合するよう万全の努力をするとの説明を受けたこと、その後前記認定のような病状経過をたどつているが、原告は、日曜日を除いて毎日院長である被告自身の回診を、また、副院長である中谷医師及び他の一名の医師から各週二日当番の回診を受けており、その際付き添つていた家族において、原告の病状がなかなか好転せず左大腿部から膿汁の排出が持続することに不安を抱き時々医師に病状を聞いたこと、被告は、その都度家族に対し、レントゲン写真をとつてみれば快方に向かつている、心配することはない、辛抱して安静にしておればよい、と指導していたこと、そのため、原告及び家族は、被告の言葉に信頼を寄せ、もう足は切断せずにすむものとの期待を抱いていたこと、しかし、術後数月後には、被告自身は、原告の骨接合の状況はかんばしくなく、骨髄炎を併発して病状が必ずしも良好でないことを認識し、早期に抜釘手術(骨接合手術の際使用したランボットや螺子を抜き取る手術)を行つた方がよいとの意見をもつに至つたこと、しかし、副院長の中谷医師は骨接合の可能性はないとはいえないから今しばらく様子をみたいとの意見であつて両者の意見に食い違いがあり、結局一〇月を経過した昭和四三年八月九日被告が抜釘手術を行つた際には、患部には多数の腐骨が存し、骨及び組織の自家融解(化膿菌によらないもの)も起きて空洞、瘻孔が生じ、骨の接合はやはり不能な状態であると判断され、被告はその時点で原告及び家族に対し左足を切断する以外にない旨告知したことが認められ、これを契機として原告は阪大病院に転院することになり、結局、前記のとおり左大腿部を切断するに至つたことを認め得る。

さて、医師は、診療契約上の債務として、患者に対し、その病状、治療方針、期待される治療効果等について、相当の時期に相当の方法により告知し、説明するべき義務を負うものというべきである。しかして本件の場合、前記のように原告には、骨接合術を行うにあたり、あらかじめ左足切断という最悪の事態もあり得る旨を告知した上でこれをなした経過もあり、左足切断は重大なことではあるが生死にかかわる問題ではないのであるから、前記のように骨髄炎の病状が思わしくなく、治癒が困難であることを患者である原告自身に早めに告知することが、爾後の処置及び医療効果上適当でない等これを不相当とする特段の事情もなかつたものと思われる。しかるに被告は前記原告の病状を認識しながら、原告及びその家族に対しては、質問を受けても右病状を正確に説明することなく、むしろ快方に向かつているから大丈夫であるといつたような逆の病状説明を繰り返えしたことによつて過剰な期待を抱かせたため、原告は、長期間経過した後、その期待に反して左足を切断すべき旨言い渡されたことに精神的打撃を受け、また、これを契機として阪大病院へ転医した後、人的物的設備のより整つた大学病院で持続洗浄等各種の治療を受け、結果的には左足切断という事態になつたものの、その受けた治療方法の対比からも、被告からもう少し早く病状がよくないことについて十分正確な説明を受けていれば、自己の判断で早期に転医することができ、そうしていたならば、あるいは左足の切断に至らずに済んだのではないかとの諦め切れない思いを抱いているものである。

このように、医師が患者に対して客観的な病状を説明することが治療上不相当であるとの事情が認められない場合において、医師が、客観的な病状からみて僅かな可能性しか残されていないか又は極めて長期間の治療の結果として期待し得るに過ぎないような治療効果を期待して、病状につき疑問を持つて質問する患者に対し正確な病状説明をせず、又は客観的病状と異なる病状説明をし、治療効果につき患者に過大な期待を抱かせたまま長期間を経て、結局右の期待と逆の結果に終わつたようなときは、医師は診療契約上要求される患者に対する説明義務を十分に尽さなかつたものとして債務の不完全履行の責を負うものと解するべきであり、本件において被告が原告に対してした前認定の病状説明は、不法行為上の過失とはいえないまでも、右の債務の不完全履行にあたると評価することができる。

被告はこれにつき「やつぱり患者には励ましがいりますので、沈みがちになりますので、一縷の望みでもあつたら、きつとよくなるからというのは、いつも言つております。一縷の望みでももつておれば。で絶望になつたらこれはもう切断せないかんと言つたので、その時点まで、切断は完全絶望までは言うたこともありません。いつも患者を励ましておるわけです」「患者さんは、さよう申し上げないとですね、私がもしもあかんなあというようなことをですね、あかん瞬間までは、我々はあかんということを言いませんからね。ショックを受けて患者はもうその日から御飯も食べなくなるし、なんのかんので死ぬ瞬間まで嘘をつきます」と供述して、右病状を正しく告げなかつたことの正当性を弁解している。しかし、この弁解は証人桜井修の「一般的には病状は話すべきであるが、要は医者と患者の相互理解の問題であり、すぐ切断せねばいかんといえば患者が非常なショックを受ける場合には、自分も言わないかも知れない」旨の証言及び証人前田晃の「患者が非常にせん細でショックを受け、更に悪化する場合は別として、一般的には患者自身に自己の病識を認識せしめるのが望ましいし、将来切断の可能性のあることは少くとも家族には伝えた方がいいと思う」旨の証言と対比しても、患者に正しい病状の認識を持たせることが患者により悪い影響を与える場合であるかどうか(一般的には末期のがんの告知などはこれに当る場合が多いと思われる。)の具体的検討を抜きにして、常に病状を秘匿するを良しとする点においていささか硬直に過ぎるものがあり、前示原告に対し病状を秘匿しなければならない特段の事情はなかつたと認め得る本件事実関係の下においては、足の切断が患者にとつてそれ自体重大な事柄であることを考慮に入れても、たやすく採用し難いものといわなければならない。

されば、被告は原告に対し、被告が右説明義務を尽さなかつたことによつて被つた前記精神的損害を賠償すべき義務を有するものというべく、その慰藉料額は、本訴の経緯等本件に顕れた一切の事情に照らし、金五〇万円が相当であると考えられる。

五よつて、その余の事実につき判断するまでもなく、原告の本訴請求は、債務不履行に基づく損害賠償として金五〇万円及びこれに対する昭和四六年一二月二七日(本件訴状送達の日の翌日であることは記録上明らかである。)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある(被告主張の原告と李煕東間の裁判上の和解の効果が本裁判で認容した損害賠償請求権に影響を及ぼさないことは明らかである。)からこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して主文のとおり判決する。

(潮久郎 久保内卓亞 吉田京子)

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